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京都大学柔道部の歴史

京大柔道部は1900年に創部しました。特徴はなんと言っても「寝技の技術」。我々の目標は第一に「国立七大学柔道優勝大会」での優勝です。この大会は場外による待てや、寝技の膠着による待てが無く、勝敗は一本勝ちのみという戦前の「高専柔道」のルールを受け継ぎ、“15人の勝ち抜き団体戦”で行われています。国際ルールや講道館ルールでは、攻防が膠着した(と審判が判断した)ら「待て」となって試合が中断し、立技より試合が再開されますが、七大戦では選手が自ら望まない限り、寝技の攻防が継続されます。また、立技・寝技とも場外に出ても「そのまま」の体勢で場内に戻って試合が再開されます。相手を自ら寝技に持ち込む「引き込み」も認められています。当然、寝技の攻防が多くなりますが、もちろん柔道の特徴である立技による一本勝ちも認められています。極めて自由度が高く、連続性があり、選手本位のルールと言えます。立技一辺倒の柔道ではなく、寝技に比重を置いた練習を行い、七大最多の24回の優勝を果たしてきました。また、七大学戦のみならず、国際ルール・講道館ルールで行われる一般の大会においても、持ち味である寝技を武器として活躍しています。団体では全日本学生柔道優勝大会にも幾度と無く出場・勝利を挙げ、個人でも全国大会出場者を輩出してきました。

高専柔道とは

 

​ 全国高等学校専門学校柔道優勝大会(略して高専柔道大会)は、京都帝国大学柔道部の主催で大正三年(1914年)に武徳殿において始ました。第一回大会は、第四高等学校、第六高等学校、第七高等学校の三校のみの参加であったが、年々参加校が増えていき最盛期には四十数校に達し、「柔道団体戦の華」となりました。昭和十六年に戦時体制が強化されて、一世を風靡した本大会は文部省の命令で中止となり、二十七年間の幕を閉じました。

 武徳殿は、柔道の寝技発展を記念する殿堂であり、青春すべてを高専柔道大会に賭けて奮励努力した若者たちの闘魂が宿る殿堂でもあります。

 高専柔道は、心技体を鍛えた幾多の有為な人材を育成し、柔道と日本社会の発展に大きく貢献しました。

七帝ルール(高専ルール)

 

 十五人の勝ち抜き勝負による団体戦で、勝負判定は一本勝ちのみとする。ポイントは技有り以上で、技有り二つで一本とする。抑え込みは30秒で一本、25秒で技有りとする。試合時間は六分間、副将ならびに大将は八分間とする。試合者の自由な勝負を尊重して、寝技への引き込みを認める。場外による「待て」や、寝技の膠着による「待て」はなく、「そのまま」で試合を止めて場内に移動し試合を再開する。大将戦で試合の勝者が決しないときは代表戦をする。三回の代表戦でも勝敗が決しない場合は抽選をする。決勝戦は勝敗が決するまで続ける。代表戦は六分間とする。

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